シュペーア 1905-1981

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シュペーア 
Albert Speer
(1905-1981)

シュペーアナチスドイツの建築家です。ヒットラーと対等に話ができる数少ない側近でした。建築家志望だったヒットラーの意を受けて「第三帝国」にふさわしい都市と建築を構想しました。それらは新古典主義として位置づけられています。

優秀な実務の建築家は建設コストのコントロールや工事の段取りに堪能ですが、シュペーアもこうした能力に長けていました。ナチス党イベントのプロデュースや建築物の建設において目覚ましい働きをしてヒットラーに抜擢されたのです。

そしてシュペーアヒットラーの御用建築家として国家プロジェクトを構想します。一方で、政府の閣僚としてナチスドイツの戦争遂行を主体的に押し進めました。37歳のとき軍需大臣に任命され、すぐれたテクノクラート(高級技術官僚)として戦争兵器の生産力を向上させています。

しかし戦争の敗北が濃厚になった時、シュペーアは戦後復興の為に産業基盤を守ろうと画策したようです。このときヒットラーは最終戦争を覚悟し、ドイツ本土の焦土作戦を指示していました。戦後の裁判で有罪となり、20年間刑務所で過ごします。1966年に釈放され76歳で亡くなりました。

シュペーアマンハイムの裕福な家庭に生まれました。父親は建築家です。ベルリン工科大学で建築を学んでいます。大学時代はテッセナウの助手を務めました。テッセナウは田園住宅や学校などを手がける伝統を重んじる建築家です。シュペーアの師匠が彼であったことは意外な事実ですね。しかしシュペーアは大学時代からナチス党員になり、党関係の建築に関わっていたようです。20代後半頃からヒットラーと懇意になっていました。ヒットラーは彼の16歳とし上です。