東京計画−1960 その3

「いくつかの経験」丹下健三 より

そこはまた、コミュニケーション・スペースとして人びとが参加して行くチャンネルでもあるといえます。そういった構造をつかまえて行かなければ、ひとつの建築や建築群といえども、特に都市空間では、なおさらのことつかまえきれないのではないかと考えるようになってきました。

とくに「東京計画ー1960ーその構造改革への提案」は、私たちにとって都市に対する機能的アプローチから構造的アプローチへの転換の最初のものであったといえます。ここでは東京を、総体としてその内部におけるモビリティーつまりコミュニケーションのシステムーによってその構造を捉え、その構造を閉塞的求心型の現状から開放的線型への構造改革の必要を強調したものでありました。そうした構造的アプローチから生まれてきた都市軸というひとつの構造概念は、かなり普遍性をもった概念となってまいりました。それはまた都市軸を幹とする成長可能な構造でもあります。

東京計画ー1960で提示された構造主義的方法論はもちろん、生な、また堅い形でしか表現されておりませんが、単に都市的スケールにとどまらず、アーバンデザインのスケールと建築のスケールにまで及んでおり、その後の私の建築やアーバンデザインに大きな影響を与えることになったように思います。

建築や都市を考える場合、その機能単位の固有性を表現することは、つまりアイデンティファイするということは、いかなる場合でも必要なことだということは前にも触れましたが、こうした機能単位を構造づけることが、私たちの操作のなかでより重要なことに思われてまいりました。