04 安土城天主の積重ね手法

ken1062014-10-09

竣工1576年。そして6年後の1582年、火災で消失。安土城天主はこの間、琵琶湖の東側に屹立する新政権のシンボルだった。この建築物は多くの点でエポックメイキングだ。

○楼閣や塔とは違う新しいタイプの建物だった。教会の鐘楼やドームに似た超高層ビル
○異なる建築様式を積み上げてタワー状にし「天主閣」という新しい形式を創造した。
○上2層は法隆寺の夢殿と金閣を積み重ねた感じ。これをアイキャッチとした。
○山城でも平城でもなく、手つかずの山に新規で石垣から作り上げた。
○軍事面よりも都市のシンボルを目指した。直線に伸びる大手道を設けた。
○破風の形式も千鳥と唐を混ぜて使用した。
○石垣が不定形だったので天主の軸組は現場合わせだった。
○石垣に石塔や石仏を使用した。仏教の偶像を破壊した。
○建設工事は極めて短期間で行われた。迅速で包括的な大動員だった。

このように、画期的すぎること多数。信長は軍隊でも建築でも宗教でも、雑多な形式をざっくり寄せ集めて、自らその上に立って統合する強い意思があったのだと思う。胆力も体力も極めて充実した人だったと想像される。

大航海時代だった当時、欧州では、

1550年代:スペイン、フェリペ2世の全盛時代
1560年代:イギリス、エリザベス1世の絶対王政
1570年:パッラーディオ、ベネチア建築総監督に就任
1583年:ガリレイ「振り子の等時性」発見

という感じだった。