「大自然」と都市 2004.11.12

Ancient Rome

大自然」は人間の力が及ばない大きな存在です。コントロールすることができないのはもちろん、全体像をイメージすることもできないと考えています。一方、都市は逆に人間がつくったもので、建築の延長上の存在です。人間のイマジネーションの中にあるはずのものです。例えば、ローマは我々が考える都市の王者です。古代ローマ帝国の首都として「世界」にあるすべての道はローマに通じています。下水道や公衆浴場などの設備が完備し、政治・経済・娯楽の中心だったわけですね。都市の「古典」として今でも横綱です。
ところで「近代」の思考では建築も都市も人間が支配しコントロールできる存在です。デカルトは「方法序説」で次のように言いました。はじめ城下町にすぎなかったのが大きくなった町はつりあいが悪く、偶然にまかされていてよくない。それより一人の技師が平野の中で思いのままに設計してつくった町のほうが美しく秩序だっていてよい。しかし、現代の我々はデカルトの理想とする方法が実行されるとどんな「近代都市」ができるのかを知っています。
1965年にクリストファ−・アレグザンダーは「都市はツリーではない」という本で、都市を「自然都市」と「人工都市」に分類しました。前者は自然成長的に発展したもの、後者はプランナーが計画的に設計したものです。そして「自然都市」はセミ・ラティスの組織をもち、「人工都市」はツリーの組織をもっていると考えました。「都市はツリーではない」という本のタイトル通り、彼は「人工都市」を否定する立場を宣言しました。本来都市は複雑にからみあう要素からなるはずなのに、ツリー組織の「人工都市」はそれを許さないと考えたのです。ツリー組織は都市を区画化し要素を分離してしまう。これは社会のアナーキーであり個人の自殺の徴候だとアレグザンダーは言いました。
レム・コールハ−スは都市の「現代的」状況に大きな関心を持つ建築家です。ラゴス珠江デルタなど、激しく変化している都市に対して精力的にリサーチをくり返し、幾つものプロジェクトを発表していますね。「現在、世界は資本主義が支配するグローバリゼーションがゆきわたり、ドル/ユーロ/円を投入する民間企業の利権が単独支配している。この体制の下、建築が信じがたいスピードで量産され、おそらくとりかえしがつかない全く新しい状況を出現させるだろう。」コールハ−スにとって現代の都市は経済活動の餌食となってモンスター化している化け物です。たしかに社会主義が無力化し自由主義経済によって世界の都市が人類史上ありえなかった発展をし続けているのは事実でしょう。
しかし本当に人間がつくり出したものが「大自然」になりえるのでしょうか。SFの世界では当たり前です。しかし、都市がそして建築が人間の手を離れて制御不可能な存在になってゆくとしたら、、、