象徴としての建築

「建築」は元来、象徴となる性質があると考えられます。現実に地面にたっている建築物は、単純に人間に比べて大きいという理由だけで、いやでも何らかの象徴作用をもってしまいます。逆に、象徴にならないようにするほうが難しいかもしれません。一方、概念上の「建築」」は、構築すること、組み立てること、などのメタファー=比喩として、建築以外の他分野で用いられていますね。本のタイトルに「アーキテクチュア」ということばが使われていても、内容はコンピューターのプログラムだったりします。
さて、象徴としての建築がもつべき働きを考えてみると、それは「モニュメント」というのが一つ思い浮かびます。例えば、信長の安土城などはわかりやすい例ですね。天下統一を目指す権力者のモニュメントです。ここでちょっと注意したいのは、安土城天主がもつタワーのように天に向かってそそり立つ建築的造形と、信長という専制君主が、意味の上できっちり一対一で対応している点です。
しかしながら現代社会に於いては、モニュメントが非常につくりにくいのです。つまり象徴としての建築が、素直に、正直に社会に成立できなくなっているんですね。このことについて、これから考えていこうと思っています。

how architecture symbolize the event

Architecture can play a role as a symbol for some events. This must be the one of architecture's primitive function. Arch of triumph in the centre of paris celebrated the victory of France by French army led by Napoleon. In the past stage classic architecture could symbolize the event correctly in the one to one simple relationship. There is no contradiction between the events being symbolized and architecture itself. But in current complicated society architectural thing always have difficulty to hit the events which they need to celebrate.