様式の誕生 2004.11.17

Boulee Museum

建築家エティエンヌ・ルイ・ブレが描いた「偉人像のための寺院が中央にあるミュージアム」です。絵のサイズは横84cm、縦46cmという大画面です。1783年に制作されました。この絵を描いたブレはフランス人で、幻視の建築家として知られていますね。フランス革命の時代の人物です。1799年に亡くなっています。
ところで、フランスにおいて幻視の建築家たちがこのような絵やドローイングを描いたのは18世紀末の一時期にすぎません。ブレの他にルドゥー、ルクーなどが知られていますが、我々の目から見るとまるで突然変異のようです。巨大スケールとシンプルな造形。こうした特徴をもつ建築物のアイディアが18世紀末のこの時期に湧いて出て来たというわけですね。
それでは、この時期はどんな社会だったのでしょうか。もちろん革命前後の熱い時代ですから世の中も前代未聞の大事件が次々に起きていましたね。革命前はパリ近郊のベルサイユ宮殿を舞台に、ブルボン王朝がロココと呼ばれる貴族文化を生み出し、革命後はパリでナポレオンが帝政を復活させ、新古典主義と呼ばれる国粋主義の文化を生み出したのです。革命前後のこの変化はフランス社会に測り知れない衝撃を与え、大きく見れば「近代社会」誕生の契機となるものでした。「近代社会」とは万民が平等に人権を保証され、自由を持ち、お互いを尊敬し合う社会です。フランス国旗の三色が表す「自由・平等・博愛」を基本にした社会と考えていいかも知れません。
そして、建築の世界でも大変革が起きました。ギリシア、ローマから続いた建築様式が終焉したのです。バロックの次のロココが最後でした。その後オリジナルの意匠は現代に至るまで生み出されていません。様式終焉の直接の契機は貴族社会から市民社会へ世の中が転換したことです。重要なのは、現在の我々が知っている建築様式は、この大変革のあとにつくりだされた点です。つまり、建築様式の終焉は「様式」誕生のきっかけだったのですね。
こうしてみると、ブレの「偉人像のための寺院が中央にあるミュージアム」は「様式」誕生の宣言だったようにも思えてきます。一般にブレたち幻視の建築家が行ったシンプルな幾何学図形をベースにしたデザインは、全体の構成やヴォリ−ムの取り扱いの上で、近代建築にまで生き残るインパクトをもっていました。20世紀なかばを過ぎて「近代建築」が確立されると、彼らのデザインが見いだされたのです。