構築と重力 2004.12.02

Newton

これらは全てニュートン肖像画です。若年から晩年までを集めた興味深い資料だと思います。こうしてまとめて見てみると、頭脳明晰そうだったり、神経質そうだったり、大臣のようだったり、ちょっと同一人物とは思えない印象を受けますね。本当のニュートンはどういう人物だったのでしょうか。伝記によれば時代によって彼にはさまざまな顔があったことが分かります。
さて、ニュートンといえば万有引力の発見者です。彼は1642年に英国で生まれました。大陸ではデカルトケプラーの時代がちょっと過ぎた頃、建築ではバロック様式の時代です。万有引力とは、簡単にいえば、2つの物体の間には必ず引き合う力が働いていて、その大きさは質量に応じて決まるというものですね。そして2つの物体のうち1つが地球の場合、その間で引き合う力を「重力」と呼ぶのです。万有引力の考え方は当時の科学者の間でも論争を引き起こし、オカルト的な霊の力とどう違うのか、中世魔術への逆行だ、などといった無理解な批判さえ存在しました。あのライプニッツからも攻撃されています。しかしニュートンはこの目に見えない不思議な力を数学を使ってみごとに説明したのです。そして「プリンキピア」という本で厳密なかたちで論述して「万有引力」や「重力」の存在を世に問いました。1687年に出版されています。
ところでニュートンの書いた「プリンキピア」は数学の数式も出てくる科学の専門書には違いありませんが、しかし今日の我々が知っている物理学の本と見なすには無理があります。むしろもっと宗教色の濃い哲学書と考えたほうがよいかも知れません。ニュートン自身敬虔なキリシタンであり、聖書の研究や錬金術にも真剣に打ち込む顔を持っていました。実際彼自身「重力」とは宇宙に遍在する神の恩寵を数学という形をとって表現したものと考えていました。したがって「プリンキピア」をキリスト教の神学に関する本とみなすことも可能なのです。
ニュートンのすごさは、ケプラーが天体研究で重力の概念をすでに知っていたにもかかわらず、その根拠を霊や魂の観念に求めたのに比べ、彼は数学を用いて重力の概念を体系的に理論化したところだといわれています。しかしそれでもニュートンの説明は、万有引力という目に見えない力を扱い、キリスト教神学を背景にして行っていたので古代呪術への逆戻りだといった非難に悩まされたのです。その後、ニュートンの「重力」はフランス18世紀の啓蒙主義の時代を通過して、もっと実用的で使いやすい物理の概念に解釈しなおされます。こうして現在の我々が知っている重力に姿を変えたのですね。