様式の真理 2004.12.14

Roman Empire

古代ローマの概要です。
はじめローマの地に最初の公共広場(フォーラム)がつくられました。この広場が現在確かめられているローマ帝国最初の建造物です。BC600年頃の建設でした。まだギリシアが覇権を握っている頃、つまりギリシア時代です。ギリシアのアレグザンダー大王がペルシャ帝国へ侵攻しインド北部にまで軍隊を進めたのがBC330年頃のことです。
さて、ローマ時代の始まりです。政治体制は前半は共和制、後半は帝政ですね。BC50年頃、将軍カエサル(シーザー)がギリシア、エジプトに侵攻しローマの支配下に置きます。エジプトは女王クレオパトラの活躍で必死の抵抗をしましたが、結局ローマに負けました。ちなみにクレオパトラギリシア人です。その後、BC44年にローマのリーダーとなっていた将軍カエサルはブルータスに暗殺されました。
BC27年に初代皇帝アウグストゥスが誕生し、共和制から帝政になります。この頃、パンテオンが建設されています。何かの神を奉る神殿としてつくられました。BC2年にローマのまちの中心部にフォロ・ロマーノの建設が始まります。初代皇帝アウグストゥスはAD14年に亡くなっています。
AD80年、コロッセオが建設されました。
AD130年頃、周辺地域を支配下におき最大になっていた帝国の領土は守りに転じます。皇帝ハドリアヌスは帝国内を巡行し、領土の守りを固めました。この皇帝は建築家でもあり、ローマ近郊に巨大な別荘ハドリアヌスのヴィラを造営しました。
AD330年、皇帝コンスタンティヌスは遷都を実行し、首都はローマからコンスタンティノポリスイスタンブール)に移されました。遷都の原因は東から領土に侵入を繰り返すペルシャ帝国に対抗するためです。この時代になってキリスト教がやっと認められています。
AD364年、ローマ帝国を東と西の2つに分けて、それぞれ別の皇帝が支配することになりました。しかし分裂したローマ帝国の衰退は止まることはありませんでした。かつての首都ローマが他民族に略奪されたりしています。西ローマ帝国は、AD476年に最後の皇帝が退位し終焉を迎えました。東ローマ帝国はその後ビザンティン帝国と名を変えて存続します。ビザンティン帝国キリスト教国で、多くのキリスト教美術を生んでいますね。そして1453年、ついにトルコ帝国によって滅ぼされてしまいます。
というわけで首都ローマに皇帝がいる時代は、初代皇帝アウグストゥスからコンスタンティヌス帝まで約300年間でした。ちなみにキリスト教が支配的になるのはこの後、ローマ帝国が東西に分裂してからですね。ローマの地にバチカンが置かれ、その教皇が絶大な権力をふるい始めるのです。