デュク

duc

ヴィオレ・ル・デュク 
Viollet-Le-Duc
Eugene-Emmanuel (1814-1879)

デュクはフランスの修復建築家です。専門はゴシック建築。国内外にある多くの教会を修復しました。最も有名なのがパリにあるノートルダム寺院です。

彼は熱心な実践家でしたから、その活動は社会一般に知られていました。おそらく古建築の保存や修復に対する国民の意識を高めるに至ったとさえ言えるかも知れません。現在でも建築物の保存に関して彼の仕事が参照されないことは考えられませんね。

デュクは裕福な家庭に生まれ育ちました。反骨精神が旺盛な青年だったようで、エリートの定番コースだったパリのボザールには行かず、イタリアに渡って、工業技術を学んでいます。また文学に傾倒しメリメやヴィクトル・ユーゴーなどの本を愛読したようです。

後年彼の専門となるゴシック建築に入れ込むきっかけは、こうしたロマン主義文学だったのかも知れませんね。

とはいえ、デュクがゴシック建築を信奉するようになった理由を時代背景に求めることも可能です。

デュクが生きた19世紀に建築界をゆるがす衝撃的な発見がありました。それはパルテノン神殿が純白の大理石仕上げではなく、青や赤そして金色などの極彩色で仕上げられていたという事実が発覚したのです。ギリシア神殿は建築の王者であり古典の原点ですから、最高の「本物」と信じていた建築が実際は「にせもの」的な姿をしていたようなものです。

これは建築様式が混乱していたことを象徴する事件と考えられます。ルネッサンス以来の「建築」に対する理想像が壊れ、失われてしまったのですね。

という訳で、建築様式は全体的に相対化され、フラットになっていきます。ゴシック、バロック、エジプト、中国というような過去の建築意匠が同じレベルで扱われるようになるのですね。そんな中、デュクは中世ゴシック時代の世界観に注目したのです。

デュクの古建築に関する研究成果はいくつもの文献として残っています。それらは建築物を修復、保存する際には書かせないバイブルとなりました。

デュクの影響は様式と絶縁した近代建築にまで及んでいます。

例えば、技術的に高層ビルが可能になったとき、ゴシック様式のもつ上へ伸び上がる垂直性が建物の意匠として取り上げられています。当時の建築家は「高層ビル」のもつべき姿がわからなかったのですね。彼らはデュクの著作を読んでゴシック様式を学んだのです。