ル・ノートル

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ル・ノートル 
Andre Le Notre (1613-1700)

ル・ノートルはベルサイユの大庭園をデザインした造園家です。ルイ14世のブレーンとしてパリからベルサイユの地へ王宮を移す事業に参画した人物ですね。

ル・ノートルは王の寵愛を受け「庭師の王者。王者の庭師」という威名で大臣級の待遇を受けていました。そして彼はその名に見合うだけの才能を持っていたのです。

太陽王ルイ14世はル・ノートルの25歳下です。ベルサイユ宮殿の建設は1660年代からスタートしますが、その時、王25歳、庭師50歳でした。2人の年齢差は親子ほどもありましたが、関係はたいへん良好だったことが伺えます。

ル・ノートルは造園家一族の出身です。多くの親戚が造園の仕事に関わっていました。父親もやはり王室付きの庭師で、パリのテュイルリー庭園の責任者だった人物です。テュイルリー庭園といえば、ルーブル宮殿の庭であり、ルイ王朝のホームだった場所ですね。

ベルサイユの庭園は今では世界一有名な庭ですが、つくられた当時は前例のない画期的な庭園でした。当時造園の規範だったイタリア式壇状庭園をのり超えた新しいタイプの庭園だったと言えるでしょう。

ル・ノートルは新しい王宮となるベルサイユ宮殿の庭を計画するに当たって、画期的な造園方法を生み出します。簡単に言えば、宮殿の近くにきめの細かい装飾花壇をもうけ、遠ざかるにつれてきめの荒い樹林をもうける。それによって宮殿からの見え方(ヴィスタ)に深い奥行きと壮大さが生まれる。中央に軸線を設定し左右対称とする。

こうした造園方法は平坦なフランスの地形によく適合するものでした。起伏の多いイタリアでは借景が容易ですが、フランスでは難しかったのです。ル・ノートルはベルサイユの庭園で借景を人工的に作り出したと考えてもいいでしょう。

こうしてフランス式幾何学庭園が誕生したという訳ですね。