ジオ・ポンティ

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ジオ・ポンティ 
Gio Ponti (1891-1979)

ジオ・ポンティはイタリアの建築家です。建築、家具、照明器具のデザインなどを手がけました。彼の作品は「モダン・デザイン」のお手本です。中でも世界で一番軽い椅子「スーパーレジェーラ」は家具デザインの金字塔ではないでしょうか。

また雑誌「ドムス」を創刊してイタリア発の「モダン・デザイン」を広めることにも尽力しました。

そんなジオ・ポンティの生涯はイタリアの近代化とともにありました。彼の母国イタリアはフランスやイギリスなどに比べて統一国家になるのが遅かった国です。20世紀の2度にわたる世界大戦を通してやっと共和国としての体裁を整えたと言っていいでしょう。イタリアはもともとローマ、ベネチアフィレンツェなど強い個性をもった幾つもの都市の集合体だったのです。

ジオ・ポンティはミラノに生まれ、25歳のとき第一次大戦に参戦します。2年間将校として活躍し、何かの作戦で武勲をあげています。

戦後、30歳でミラノのポリテクニックを卒業し、建築設計の実務を開始しました。45歳の時、母校の教授になり25年間その職を務めています。

ジオ・ポンティの代表作品はピレリ社ビルやローマ大学の校舎などでしょうか。ピレリ社ビルはミラノ初の高層ビルで、構造家ネルヴィと数名の建築家との共同設計です。ピレリ社ビルは近代建築の名作であるばかりでなく、イタリアが近代化に成功し、経済的に復興したことを象徴するものと考えられていますね。

彼の使命はイタリアのデザイン界に「近代」を確立することだったと言っていいでしょう。ジオ・ポンティの人生は「近代化」に伴走していたようにも見えますね。

デザイン界における20世紀のイタリアは未来派にはじまり「スーパースタジオ」やソットサスらの多様な世界観にまで展開しましたが、ジオ・ポンティのモダン・デザインは戦争や経済的な混乱といった社会不安を乗り越えてきた点で底の深い大きな存在であることは間違いないでしょう。