レイモンド・フッド

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レイモンド・フッド 
Raymond Mathewson Hood (1881-1934)

レイモンド・フッドはアメリカの建築家です。1920年代から30年代のニューヨークを舞台に活動しました。商業建築をこなす実務肌の仕事師ですね。

レイモンド・フッドはロード・アイランドに生まれ、MIT(マサチューセッツ工科大学)とパリのボザールで建築を学びました。そしてニューヨークを拠点に建築家としての仕事を開始します。

1922年、レイモンド・フッド41歳の時、国際コンペで優勝し彼の名は一躍有名になります。そのコンペは、シカゴの新聞社が自社ビルの計画案をコンペで募集したものです。「シカゴトリビューン社国際コンペ」ですね。

レイモンド・フッドの優勝案はゴシック風の迫力あるデザインでした。しかし、フッドの案は施主の期待に応えるだけの時代遅れなデザインだったという一面は否めません。

なぜなら、当時のシカゴは時代を先取る先進性のあるまちとして知られ、そこの新聞社が主催する自社ビルのコンペということで新しい何かが起きると期待されていたのです。コンペにはグロピウスやロースといった有名建築家が応募し、時代を先取りしたアイディアが現われ、大きな注目を集めました。

とはいえ、フッドの案は翌年から実施に移されました。

レイモンド・フッドの人生はそれからわずか12年という短いものでした。シカゴトリビューンの後、数本の高層ビルを設計しています。ロックフェラー・センターの設計に参画し、複数の建築家のリーダーを務めたこともありました。

フッドの建築はデザインが時代に合わせて変わることに特色があります。ゴシックからアールデコ、そしてインターナショナルスタイルへ。古典から近代へ。装飾を削ぎ落としていったという見方もできるでしょう。

フッドは時代の流行を取り込みはするものの、効率や経済性を重視する建築家でした。クライアントの要望に応えることを第一の使命と考え、かたちに対するこだわりを表現したいタイプではなかったようです。

そんな彼が12年のあいだにデザインした建築を概観すると、1920年代から30年代ニューヨークにおける高層ビルのデザインの変遷が見て取れます。

レイモンド・フッドはニューヨークの摩天楼をつくった建築家の一人です。