ダ・ヴィンチ

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レオナルド・ダ・ヴィンチ 
Leonardo da Vinci (1452-1519)

ダ・ヴィンチにとっての建築は、絵の背景であり、戦争の道具であり、まちづくりの一部である、、、というようにさまざまな分野で大きな広がりを持っていたと考えられます。

具体的にはミラノの大聖堂、教会のクーポラ、舞台装置、構築物のメカニズム、ミラノの都市計画、などについての一連のスタディーを挙げることができます。これらは広範な彼の創造活動から建築に関する部分を切り取ったものと考えていいでしょう。今のところこれらの中で実際に実現したものは知られていません。

ダ・ヴィンチの建築に関するスタディーは、もっぱらミラノに住んでいた時代になされたようです。彼は30歳から60歳くらいまでミラノを拠点に活動していました。ミラノには8歳年上の建築家ブラマンテがいて、約18年におよぶ長い交流をもちました。彼から何らかの影響があったかも知れません。ブラマンテはその後、ローマに招かれバチカンの仕事で巨匠になります。

ダ・ヴィンチは当時まだ建設途中だったミラノの大聖堂に協力しています。現場を仕切っていたブラマンテの求めに応じたものですね。ダ・ヴィンチは尖塔部分の構造力学的な検討と模型の制作を依頼されました。残念ながら実際に作られたのは他の建築家の案でした。

それから、ミラノの都市計画に関するプロポーザルも注目に値するでしょう。当時このまちは過密状態で、戦乱とペストの大流行が環境の悪化に拍車をかけていました。ダ・ヴィンチのプランは実現する見込みのない計画案でしたが、前例のないユニークなものです。

ここで彼は都市の垂直化を提案したのです。空中で立体交差する道路網、その下を走る水路網。3層からなる道路と水路は都市の交通網を形成する。下層の水路によって物資の運搬やゴミの排出を行う。このようにインフラ整備によって土地の有効利用と環境改善を計ろうとした点は理にかなっていますね。

この他にもダ・ヴィンチの建築についての考察は手稿の中に現われる多くのスケッチやメモに見ることができます。求心ドームの検討。複雑にからみあう階段。教会のクーポラ。戦争用と思われる構築物のメカニズム。などなど。