ブラマンテ

bramante

ブラマンテ 
Donato Bramante (1444-1514)

ブラマンテはルネッサンスを代表するイタリアの建築家です。

ブラマンテはローマ時代の建築物を詳細に研究し、多くのことを学びました。彼の設計した建築は古代ローマのエッセンスが感じられる逸品として高く評価されています。

後続の建築家たちはブラマンテの作品を古典建築の手本と考えました。したがってローマ時代につくられた「完璧な建築」は、ブラマンテの解釈を通して再生したと考えてもいいほどですね。

ブラマンテは下層階級の生まれです。絵画を学びながら町を渡り歩いて修行をした苦労人です。やがてミラノにたどり着き、この大都市を故郷としました。ブラマンテは生涯の大半をミラノで過ごしています。

ブラマンテはミラノで建築の実務を習得し、礼拝堂や聖堂などを手がける建築家になりました。

55歳のときミラノにフランス軍が侵攻し、ブラマンテはローマに脱出します。ローマにやってきたブラマンテは短期間のうちに多くの古代遺跡を実測調査しました。こうして彼は「古典」の本質をつかんでいったのです。

ブラマンテがローマに来てから数年後、ユリウス二世が教皇に即位します。建設技術に精通し、迅速な段取りができるブラマンテをユリウス二世は気に入り、すぐに彼を重用するようになります。

ユリウス二世は教皇庁にある施設の建替えや改修工事をブラマンテに依頼しました。その中で最大の仕事がセント・ポール大聖堂の建設です。ブラマンテは主任建築家としてこの大仕事の采配をふるいました。

ここで、ユリウス二世の人物像にふれておきましょう。彼は非常な野心家であり、文化芸術のパトロンだった人物です。教皇としての在位はわずか10年ですが、当時バチカンのライバルだったベネチアやフランスとやり合って教皇領を拡大しています。またローマにミケランジェロラファエロをよんで仕事を与えました。70歳近くまで生きた豪傑ですね。

さてブラマンテも15年間をローマで過ごし、ユリウス二世が崩御した翌年、70歳で亡くなります。陽気で気さくだった彼の人柄を惜しんで、盛大な葬儀が行われました。