ヴィトゲンシュタイン

wittgenstein

ヴィトゲンシュタイン 
Ludwig Wittgenstein (1889-1951)

ヴィトゲンシュタインはウィーン生まれの哲学者です。「論理哲学論考」「哲学探究」この2冊が主著ですね。その彼がウィーンに姉の邸宅を設計しました。生涯ただ一度の試みです。そのやり方がちょっと変わっていました。

しかし、哲学者なのになぜ建物の設計なんかやったのか?それには理由があります。

実はヴィトゲンシュタインはこのとき精神に異常をきたしていて、心配した姉がこの仕事を彼にあてがい、気持ちを変えさせようとしたのです。そしてヴィトゲンシュタインはこの仕事に没頭しました。

彼は友人の協力を得て約2年間、邸宅の設計と監理に専念しました。出来上がった建物はロース風です。友人がロースに学んだ建築家だったからでしょう。

ヴィトゲンシュタインのやり方はあまりにも精密すぎて工事関係者を当惑させました。建具や暖房器具の寸法、あるいは部屋の展開図のプロポーションなどを、精密機械でもつくるかのような精度で決め、それを現場で本当に実行させたのです。また、住宅なのにカーテンやカーペットなどまで不要物として排除しました。

ヴィトゲンシュタインはウィーンの裕福な家庭に生まれ、19歳でイギリスに渡ります。そしてマンチェスターの工科大学に入学してまず航空工学と数学を学び、やがて数学基礎論に没頭するようになります。これが哲学者への道につながりました。建築物の設計ができたのは工科大学出身だったからですね。

ヴィトゲンシュタインが大学を出た頃、第一次大戦が起こります。彼は徴兵され従軍しています。終戦後、彼は30代になっていました。小学校の教師をしながら哲学を続けます。姉の家を設計したのは30代最後の2年間ですね。

40代になったヴィトゲンシュタインは再び哲学の世界に戻りました。イギリスのケンブリッジ大学が彼を受け入れてくれたのです。このときのヴィトゲンシュタインの哲学は以前と大きく変わっていました。日常的な視点から言語用法の雑多な分析を試みようとしたのです。

演繹的だった彼の発想が経験的なものに転回した原因を、2年間の建築設計に見出すことも可能でしょう。

ヴィトゲンシュタインは50歳のとき大きな出来事が立て続けに起きています。イギリス国籍を取得したこと。ケンブリッジの哲学教授に就任したこと。そして第二次大戦が勃発したこと。

天才哲学者は「哲学探求」を書き、62歳のときケンブリッジで亡くなりました。