20/75 ヴィトゲンシュタインの建築

ken1062007-01-22

哲学者ヴィトゲンシュタイン Wittgenstein が設計したウィーンにある姉の家です。ロース風の住宅ですね。姉の亭主の名前を取って「ストンボロウ邸」Stonborough House あるいは「ヴィトゲンシュタインの家」Wittgenstein House と呼ばれています。哲学者ヴィトゲンシュタインが設計したただ一つの建築です。
このちょっと変わった経歴の建物は「建築」を解釈する上でユニークな視点を示しています。簡潔に言えば、「読みの多様性を否定する」ということです。よい芸術作品は多様な読みが可能だとされていますが、その否定と言ってもいいかも知れません。
つまりヴィトゲンシュタインは「建築」のメタフォリカルな解釈を拒否したのですね。メタレベルでの説明や物語がいかに不正確か、というテーマは哲学者としての彼の主題でした。
例えば、多くの建築家が自分のこだわりを込めたがる「窓」について、このストロンボウ邸は「開口部には何の意味もない」と語っているようです。
それではヴィトゲンシュタインは何を目指していたのでしょうか?それはプランニングや材料の使い方、寸法の厳密な適用など、いたってノーマルなことを、絶対に妥協しないで実行するということでした。彼の設計には「にげ」がなかったのかも知れません。常軌を逸したデザイナーの注文に職人たちは当惑したようです。
例えば、窓や扉の枠、把手、暖房機具などの工場生産品を精密機械と同じ細かさで設計し、その通り製作することを要求した。立面図における開口部の位置やそのプロポーション、展開図における柱梁の分割や天井の高さなどについて、比例を使って厳密に決定した。そして施工に入ってから、現場を見た彼は、図面とのわずかな誤差が気に入らず、完成した部屋の天井を壊してもう一度作り直させた。
こうした彼の建築設計への姿勢は、本業である哲学の仕事を見ると納得できるかも知れません。ヴィトゲンシュタインの哲学は、偏見のない思考と数学のような正確さで森羅万象の真理を追求した「論理学」とか「言語論」のようなものです。彼の考えでは「真理」は言葉で表現できるものでした。代表作「論理哲学論考」は次のような定義から始まっています。
「1. 世界は成立していることがらの全体である。2. 世界は事実のよせ集めであって、物の寄せ集めではない」こうした記述はまるで数学のようです。この本で彼は、言葉や記号が意味を持つということのメカニズムを追求し、現実世界への原理的な疑問に基づきながら、ものごとの整合性を検証しています。そして最後に「語りえぬものについては、沈黙しなければならない」という有名な一節を記してこの本を結んでいます。
「空間とはいわば1つの可能性であって、幾つかの可能性からなるものではない」というヴィトゲンシュタインの言葉は、彼の建築観を考える上で示唆的です。設計者としての彼の関心は、数字と比例を使って美しいかたちを厳密に追求することに尽きています。「建築」のメタフォリカルな解釈を認めることができないのは、彼の哲学者としてのスタンスを見れば合点がいくと思います。