オーブ・アラップ

arup

オーブ・アラップ 
Sir Ove Nyquist Arup (1895-1988)
アラップは英国の構造家です。建築土木の構造事務所アラップ社(ARUP)の創始者ですね。アラップ社は現在、9000人近い社員が所属し、37カ国以上に86もの事務所を構え、10000件を超えるプロジェクトをすすめる世界的な巨大組織になっています。
とはいえ、アラップ自身は気さくで魅力的な人物だったようです。構造技術者としての仕事は妥協のない厳格なものでしたが、一方で美術や音楽などにも造詣が深く、好奇心旺盛で多才な面をもっていました。社内のエレベータでアラップと偶然乗り合わせた若手社員が仕事は楽しいかと聞かれて感激したエピソードなんかが伝わっています。アラップが生きた時代には黒人蔑視などの人種的偏見がまだ根強く残っていましたが、彼は万人平等主義を貫き、優秀な人材ならばアフリカやアジア、南米からもスタッフを会社に受け入れたといいます。

アラップは父親がデンマークの領事館員だった関係でデンマークで育ちました。コペンハーゲンの大学で哲学と土木を学びます。彼が哲学を学んでいることは興味深いですね。卒業後、ドイツの土木会社に就職し技師として働き始めます。そして、イギリス支店への転勤とともに英国に移住することになります。この時代のアラップは土木関係の仕事に従事しています。
ロンドンに移って10年ほどはドイツの土木会社の技師を続けています。それから彼は英国の会社に再就職しました。この頃からアラップは建築物の構造設計を手がけるようになります。1930年中頃のことですね。
やがてアラップは世界的に著名な建築家と交流するようになります。そんな訳で彼が担当したプロジェクトの中には近代建築の名作が幾つか含まれています。
第二次大戦が始まるころ、アラップは会社に籍を置いたまま、従兄と組んで自分の会社を立ち上げます。そこで防空壕や貯蔵施設、港湾施設などの構造設計を手がけるようになります。実はこれがアラップ社のはじまりです。
戦後の混乱さめやらぬ1946年、アラップは会社を正式に辞職し、オーブ・アラップ&パートナーズを本格的に始動させます。彼は教育、産業、住宅などの分野で復興のために必要とされた施設を数多く手掛けていきました。一方で西アフリカで道路の設計と工事監督を行ったり、南アフリカに支店を出したりもしています。