ラブルースト 1801-1875

labrouste

ラブルースト Pierre Francois Henri Labrouste (1801-1875)

ラブルーストはフランス19世紀の建築家です。同時に構造技師でもあり、鉄で建築物をつくったパイオニアです。建物の意匠は古典建築ですが、柱や梁は鉄でつくられ、ガラス天井から自然光が入り、内部空間に十分な明るさをもたらす事に成功しました。鉄による建物の建設はまず内部空間を劇的に変化させたのですね。

ラブルーストはパリに生まれました。ボザールで建築を学び、優秀な学生として23歳のときローマ大賞を獲得します。そして5年間をローマで過ごすことになりました。

彼は古代ローマの建築遺跡からすぐれた構造上の技術を学びました。水道橋や寺院を調査して、その建築物がもつ構造的な特徴や古代ローマの建設技術を知ったのです。ラブルーストのこうした活動が鉄構造のパイオニアとしての道を歩ませたのですね。しかしラブルーストの関心は一般的なローマ大賞受賞者が行うべき学習内容と違っていました。

新しい材料に対する積極性や建物の骨組みを合理的に考える自由な精神を持っていた点がラブルーストの特徴です。しかし当時のフランスではまだ受け入れられないものだったようです。ラブルーストはローマ留学から帰国するとフランスアカデミーからの強い反対に合っています。その後しばらくして彼が30代になった頃、自分の建築教室をつくってアカデミーと対立することになりました。

ラブルーストの私設教室はフランスにおける新進の建築教育をする場となり、構造的、機能的な観点を重視する設計を教えていました。しかし残念ながら彼自身には約10年間アカデミーからの圧力の為に目立った仕事がなかったようです。

彼が42歳の時、初めて公共建築の仕事が依頼されました。パリのサント・ジュヌビィエーヴ図書館の新築です。その後、彼の代表作となるパリ国立図書館の閲覧室の他、幾つかの実作を実現しました。いずれも鉄の構造によるものです。

ラブルーストの時代の鉄は現在の鋼鉄(steel)ではなく鋳鉄(cast iron)と練鉄でした。炭素の量が多く鋼鉄より強度が十分でない面があったのです。したがって鉄で建物をつくることがどれほど大きな冒険だったかは今の我々にはちょっとわからないかも知れません。ラブルーストが成し遂げた成果はその後の建築に大きな意義を持っていました。

その5完