ブーレ

boullee

ブーレ 
Etienne-Louis Boullee
(1728-1799)

ブーレはフランスの建築家です。実作は少なく「幻視の建築家」として有名ですね。「ニュートン記念廟」などがよく知られています。彼のデザインはスケール感が超巨大なのが特徴です。

建築史の中では新古典主義の建築家として分類されることが多いでしょう。ちなみに、映画「建築家の腹」1987 で取り上げられたのがこのブーレですね。

またブーレは教育者としての一面も持っていました。彼の元からフランスを代表する建築理論家となった J.N.L.Durandなどが育っています。

ブーレが「幻視の建築家」という扱いを受けるようになったのは20世紀になってからです。彼の「超巨大スケール」のドローイングが再発見されたことがきっかけでした。やがてブーレは近代建築運動の中で「抽象化の元祖」という位置づけで注目を集めるようになったのです。

ブーレが近代建築との関連で評価された原因は、おそらく彼のデザインが単純な立体の組み合わせで考えられていたからでしょう。彼の建築には抽象化、あるいは単純化の契機を読み取ることができます。

ブーレの作品集は1953年に初めて出版されました。彼は18世紀の建築家ですから、これは非常に遅い出版です。実に150年あまりも忘れ去られていた訳ですね。

このタイムスリップは彼の印象を奇妙なものにしています。我々には「幻視の建築家」「近代建築の元祖」という姿で見えていますが、実際のところブーレは古典建築を教える先生であり、新古典主義の建築家だったのです。

ブーレはパリに生まれ、ブロンデルから古典建築を学びました。34歳の時、王立アカデミーの会員になり、同時にプロイセン(現ドイツ)の宮廷建築家にもなっています。その後15年ほど、個人住宅を中心に多くの建物をデザインし実現させたようです。その後、1778年、彼が50歳のとき国立学校の教員になりそれから10年間教育活動を続けました。幻視の建築家ブーレの特徴である形態の抽象化、スケール感の逸脱、無限の繰り返し、「語る建築」などのアイディアはこの時考えたもののようです。

彼の公の活動は1788年で終わっています。翌年勃発したフランス革命で旧体制側と見なされたのでしょう。彼が亡くなったのは1799年の初めです。ナポレオン将軍がエジプト遠征を成功させ、クーデターによってフランスの支配者になる時期でした。