45/75 幻視の建築家

ken1062007-03-01

建築家エティエンヌ・ルイ・ブレ Etienne Louis Boull?e が描いた「偉人像のための寺院が中央にあるミュージアム」です。絵のサイズは横84cm、縦46cm。かなりの大画面です。1783年に制作されました。
フランスにおいてブレやルドゥー、ルクーなど幻視の建築家たちがこのようなドローイングを描いたのは、フランス革命で社会が激変する時代でした。インパクトのある彼らのドローイングは非常に興味深いものですが、それらをどう解釈すればいいのかは、ちょっと考えさせられるところですね。ここで2つの見方を示してみましょう。
過去の視点に立って、古典主義を肯定する目線で彼らの描き出したイメージを眺めれば、それは狂信的な建築家が誇大妄想を膨らました結果か、あるいは「古典」の重く固い呪縛を振り切ろうとする狂気の行いか、いずれにしても「古典」の突然変異のように見えるかも知れません。
歴史を概観すれば、建築様式はブルボン王朝のロココからナポレオン帝政の新古典主義へと表面的な変化が起きていましたが、水面下では「古典」の死が進行していたのです。「新古典主義」はもはや過去の様式の借り物でしかありませんでした。したがって幻視の建築家たちの「狂気の」ドローイングは「古典」が死んでゆく時の末期症状とさえ解釈できますね。
逆に未来の視点に立って、近代建築を通過して来た我々の目線で眺めれば、それは「近代」の萌芽が見いだせる、革新的な創造だということになります。末期症状どころか、新しい可能性の芽を見いだすことができるのですね。例えばシンプルな幾何学図形をベースにした全体の構成やヴォリ−ムの取り扱いなどを挙げることができるでしょう。ディテールの抽象化などもありますね。とはいえ、実際にこうした変化が起きるためには、工業の発達や建設技術の進歩を待たねばなりませんでした。