ヴェスニン兄弟

vesnins

ヴェスニン兄弟 

長男 レオニド    統括、実務
次男 ヴィクトル   エンジニアリング
三男 アレクサンドル デザイン

Vesnin brothers

Leonid (1880-1933) 
Viktor(1882-1950) 
Alexander (1883-1959)

写真はアレクサンドル。ヴェスニン兄弟の三男です。

ヴェスニン兄弟はロシア・アヴァンギャルドの建築家ですね。3兄弟は年齢が近く、それぞれ得意とする分野があって、お互いにフォローしあう良好な関係がありました。兄弟まとめて有名になった珍しい例かも知れません。

ヴェスニン兄弟の作品は1920年代から1930年代のわずか10年ほどの短い期間に生み出されたものですが、ロシア・アヴァンギャルドの真骨頂を示す刺激的なものが多くあります。不思議なのは、寒いヨーロッパの旧帝政国家が、なぜ突然こんな斬新なデザインを生み出せたのか?

それはさておき、ヴェスニン兄弟はまず劇場の舞台セットで才能を発揮します。この時期、メイエルホリドらが中心となってクラシックとは袖を分かった、前例のない舞台が行われていました。ヴェスニン兄弟は舞台美術のデザイナーとして参画し、今見ても興味深いセットを提案しています。中でも1923年モスクワで上演された演劇「木曜だった男」のセットが有名ですね。

そして建築の分野でもヴェスニン兄弟は活躍しています。1923年に行われた「労働宮殿」のコンペ、それに続く「プラウダのモスクワ支社」のコンペ。これらの舞台で彼らは「アヴァンギャルド」と呼ぶのにふさわしい案を提出し関係者を魅了します。彼らの「労働宮殿」の案は、円柱と直方体をざっくり組み合わせたドライな構成で、全体として建物は見事に抽象化されています。

彼らのデザインは歴史家に言わせれば「構成主義」建築ですね。地域性と歴史から離れ、抽象化と自由な再構成によって「建築」は全面的に生まれ変わった。そんな感じでしょうか。

こうしてヴェスニン兄弟はヨーロッパの他の国でも有名になってゆきました。

1924年、ヴェスニン兄弟はモスクワの国立芸術学校の教員となります。同時に長男のレオニドが主催する彼らのスタジオが学内に設けられました。そして、このスタジオからレオニドフなど次世代の若い才能が育ってゆくことになります。

コンペで華々しい成果をおさめる気鋭の建築家連として学生のあいだで人気は高かったようです。彼らの活動は1930年代の初めまで非常に活発でした。ヴェスニン兄弟は新国家ソビエト連邦において、芸術分野のリーダー格になっていたのです。

しかしスターリンソ連の政権を握るとロシア・アヴァンギャルドは否定され、迫害を受けるようにさえなってきます。ヴェスニン兄弟には政治的圧迫はなかったようですが、大会で「社会主義」を賞賛するスピーチを強制される場面などはあったようです。

1933年、長男のレオニドが53で亡くなります。1930年代、スターリンの粛正を象徴するような出来事だったことでしょう。