レオニドフ 1902-1959

leonidov

レオニドフ Ivan Il'ich Leonidov (1902-1959)

レオニドフは旧ソ連の建築家です。ロシア・アヴァンギャルドを代表する人物で、極めて刺激的なプロジェクトをいくつも残しています。実作はほとんどなく、設計競技のために制作したプロジェクトによって20世紀の建築に大きな影響を与えた点が特徴です。

アヴァンギャルドのもつ意味は、過去と伝統を受け継がない。現時点の前線に立つ。未来に向けてプロジェクトを描く。というようなものですが、レオニドフのやったことは正にこの通りでした。卒業制作だった「レーニン研究所」は、すでに歴史に残る問題作です。抽象化した建物の形態、それらのみごとな構成、斬新な構造形式、劇的なドローイング、社会的背景への深い理解など、レオニドフの才能は飛び抜けていたのです。現在の我々が見ても刺激的ですね。

レオニドフはウラシカという田舎の村で生まれました。家庭は貧しく、少年時代は家計を支えるため働きに出ています。1917年、15歳のときロシア革命が起こりました。19歳のときモスクワにあった国立の芸術技術学校に入って絵画と建築を学び始めます。ここでヴェスニンの指導を受けました。レオニドフは革命後の新しい教育を受けています。彼はロシア・アヴァンギャルドの建築家の中では若い世代でした。

大学を終えたあと学校に籍を置いて、多くの設計競技に参加しています。中でも32歳のとき参加した「重工業省コンペ」が最も有名です。2本の高層タワーが川沿いに建つ印象的なアイディアでした。レオニドフのこのプロジェクトをロシア・アヴァンギャルドの代表作と考えていいかも知れません。コンペが開催されたのは1934年のことです。

しかしこの頃からスターリンの粛正が激しくなり、ロシア・アヴァンギャルドの建築家は激しく弾圧されるようになります。過激な芸術は反社会的だと決めつけられたのですね。特に若かったレオニドフは目をつけられて組織的な非難の対象になってしまいます。彼には不幸な後半生があるばかりでした。

39歳のとき軍役にかり出され、工兵として前線に派遣されています。第二次大戦中のことです。レオニドフは負傷して2年後に復員しました。その後、学校に籍を置いてコンペに応募したり展覧会に参加して建築活動を続けました。57歳で亡くなっています。