ガウディ

gaudi

ガウディ 
Antoni y Cornet Gaudi (1852-1926)

ガウディはスペイン、カタルーニャ地方の建築家です。彼は生涯この地にあって故郷の文化に根ざしたユニークな建築を残しました。その数、全部で25。全てカタルーニャ地方に存在しています。

ガウディの父親は銅で家庭用品をつくる職人でした。理論を嫌い、ものを手に取って実際にやってみないと気がすまないガウディの実践重視の気質は、この父から受け継がれたようです。ガウディは本を書いたり大学で講義をすることが一切なかった建築家です。こんな側面も父親譲りだったようですね。

ガウディはバルセロナ建築学校で建築を学びました。卒業時、選ばれて建築家のライセンスを授与されています。将来を期待されたエリートだった訳ですね。ガウディ26歳の時です。

しかし、ガウディらしいデザインに到達するのはそれから20年近く経ってからのことです。建築家ガウディが世に知られる存在になるのは1900年代以降です。そして、その後25年間でガウディ建築が生み出されていきました。

ガウディの建築には伝統をふまえた合理性が存在しています。建築を成立させるための明晰な筋が通っているところが、実はガウディの真骨頂なんです。外見の面白さばかりではありません。

例えば、グエル教会の設計で「逆さ吊り実験」と呼ばれる力学実験をねばり強く実施したエピソードが、そのことを物語っています。建築と重力の本質を知っていたガウディは、この実験で独自の建築形態を考え出しています。

また、カタルーニャ地方にはカタラン・ヴォールトという独自の伝統技術があり、ガウディはこれを巧く利用しました。鉄やコンクリートによる近代の建設技術を彼はあえて採らず、積石造で建築をつくろうとした訳です。

このように、ガウディは自分の頭を使っていつも建築のエッセンスを考えていたのですね。オリジナルのアイディアを伝統的な技術に応用して独自のデザインを実現できたところがガウディのすばらしいところです。

ガウディは一途な性格で、あまり社交的ではなかったようです。しかし、20代のころグエル氏というパトロンに出会い、これがきっかけで仕事を得ることができました。

ガウディは敬虔なカトリック教徒で、晩年はサグラダ・ファミリアの仕事に没頭しました。ガウディの日常はきわめて質素で身なりもみすぼらく、清貧の生活を送っていたようです。

ガウディは73歳のとき、ミサに行く途中、路面電車にはねられて亡くなります。事故当時、誰もガウディとは気がつかなかったといいます。本人の遺言に反して、まちをあげての盛大な葬儀が行われました。