07/75 まち作りの両極

ken1062012-10-16

震災で破壊された東北のまちを復興しなければならない。

様々な地域で、様々な状況で、多くの方々が心血を注いでおられると思います。

現実は目の前に強烈な姿を晒しています。とにかく、目先の混乱を何とかしなくてはならない。

しかし、建築とまちつくりの専門家の役目は、今後、50年、100年先のことまで「計画」することです。

その時、最初の前提として「住民参加型」で行うのか。あるいは、「一人のプランナー」が独断で行うのか。

20世紀の「計画」の考え方は、「一人の建築家がすべてを設計した建物の方が、美しく秩序立っている」というデカルトアフォリズムを引き合いに出すような、合理性や効率性を重視するものです。

しかし、21世紀の現在、どんなやり方がいいのでしょうか。

現状は、「住民参加型」が正義の味方、「一人のプランナー」が悪の化身。そんな雰囲気があるようです。

ところで、唐突ですが、東北地方は柳田国男の「遠野物語」の舞台ですね。古い言い伝え、民間伝承。カッパの伝説。合理性や効率性とは対極にある、しかし、人間の生活に昔から連れ添ってきた深い闇。豊かな暮らしの裏面には、こうした深い闇も必要だったのです。

現在の日本は、社会の制度設計からやり直さないと立ち行かないと言われています。これは事実でしょう。

放射能汚染との戦いは宿痾の条件になってしまいました。

そんな状況から、まちつくりの専門家が今後、50年、100年先のことまで「計画」するにはどんなビジョンが必要でしょうか。

それはもはや不可能なのでしょうか。

スマートシティとか、自然エネルギーを利用したまちつくりとか、一見よさそうな新しい展開は、実は企業が利益追求のために仕組んだ、誤った方向性かも知れません。

「もの」から「こころ」へ。少なくとも、この方向性は確かだと思います。