ハドリアヌス帝

hadrian

ハドリアヌス帝(76-138)
Traianus Hadrianus

ハドリアヌス帝はローマ帝国14代皇帝(在位117-138)であり、五賢帝の3人目ですね。帝国各地を巡視し、領土の引き締めを実行したことで知られています。軍人であり、文人でもあった名君です。

ハドリアヌス帝は建築についても造詣が深く、多くの建築物を建てました。中でもローマ郊外の避暑地ティヴォリの壮大な別荘はすばらしいものですね。その他、パンテオンの再建、アテネの大規模な都市整備、イギリスでの城壁構築など後世に残る大々的な建設事業を行っています。

ハドリアヌスはスペインで生まれました。ときの皇帝トラヤヌスは彼の叔父に当たっています。成人すると軍人となり、数々の戦争に参加するようになります。そしてしだいに頭角を表し、自らの実力で司令官にまでなりました。また同時に、文学、絵画、数学などについても高度な知識と見識を養い、一流の文人としても知られるようになりました。

41歳のとき14代のローマ皇帝に即位します。この時、帝国の領土は最大でしたが、拡大しすぎた領土各地にはさまざまな問題が発生していました。ハドリアヌス帝に課せられた大きな使命は国境線を確定し、国内を安定させることだったのです。

領土拡大によって生じた隣国との紛争問題を沈静化させると、ハドリアヌス帝はさっそくこの使命にとり組みます。彼は少数の側近を伴い、帝国各地を自ら訪れて、それぞれの地域の問題解決に取り組みました。まちのインフラ整備や社会制度の改革を行って政治経済の安定化を計ったのです。

ハドリアヌス帝の巡幸は数度にわたり、東はシリア、アレキサンドリア近辺、西はスペインから現在のモロッコ近辺まで、そして北はロンドンまで巡幸しています。彼の大規模な巡幸によって、巨大化した領土は引き締められ、守りを固めることに成功しました。

しかし、ローマを留守にすることが多かったことや、自らに権力を集中させるために歴戦の勇士として人気があった4人の将軍を殺したことで、元老院ローマ市民の人気は悪かったようです。帝国の成長を妨害する暗君というイメージを持たれてしまったのでしょう。

さて、ハドリアヌス帝はローマ近郊のまちティヴォリに自らの別荘を建設しました。各地を巡幸した際見た景観をこのまちで再現したのです。道路と水路が整備され、住居の他、庭園、競技場、図書館、浴場など多くの建築物が建てられました。要した歳月は約15年とされています。まるで住民のいない都市ですね。彼は古代ギリシアの信奉者でしたから、多くの建築物がギリシア風です。

ハドリアヌスは21年間を皇帝として過ごし、62歳のとき亡くなりました。