東京計画−1960 その2

「いくつかの経験」丹下健三 より

東京に帰るとすぐ世界デザイン会議に参加し、それにひきつづいて世界保健機構のジュネーブ本部の指名設計競技をやり、また東京計画ー1960に丹下研究室で半年ばかり没頭したことは、私たちの問題意識と方法をより明確にし、またそれを視覚化する上で大変貴重な経験でありました。


日本デザインコミュティのメンバー


世界デザイン会議でボストン海上計画を発表

私たちはそのアソシエーションとかクラスターという、表現としてしか捉えられていなかったような問題を、もう少し一般化してつかまえてみたいと思いストラクチャという概念を導入してきたわけです。恐らく言語学的な構造論が、そういった考えの中に入ってきたのだと思いますが、要するにいろいろな意味で建築とか建築空間とか都市空間というものは、ストラクチャあるいは構造をもっているのではないかと感じはじめたわけです。

ストラクチャにもいろいろな次元があって、力関係のフィジカルな意味でのストラクチャもあり、また、その中で物事が関連づけられて行くというようなフィジカルな場のものもあります。あるいは、その空間を体験する中でのアソシエーションとしてのストラクチャもあります。空間そのものがひとつのメッセージを人々に放つ場合、その放つメッセージを文章にたとえれば、その“て・に・を・は”を与えて行くことでもあるわけです。