09/75 建物の不可能性

ken1062012-10-24

建物で集会をやっていたのではダメ。動くことが大事。動いている空間が「広場」になる。

以下、柄谷行人「デモは未来のための実践」から引用

「決まった広場や会館に集まるのではなく、人々が集まって歩く、あるいは、動いている空間が「広場」になる。」

「普遍宗教の始祖たちは、神殿、寺院を拒み、人々を引き連れて歩き、話し合い、また共食しました。」

「古代の都市国家の時代には、ギリシアでも中国でも、思想家たちが都市から都市へ移動し、広場で議論をした。それは「動く集会」です。」

「日本でも、法然親鸞日蓮のような鎌倉仏教の創始者たちは、旧来の寺院を拒否して「動く集会」をしていた」

「「動く集会」には直接的な民主主義がある」

以上

「動く集会」を「建築」に引き寄せて考えると、かつてチュミが提唱した「イベント空間」を思い出します。殺人事件が発生した、そのプロセス、ストーリに沿って空間は流れる。今の建築技術でストラクチャを与えるとすれば、メッシュ状に流動するリギッド空間、、、、