構造 2004.12.18

Ove Arup

構造家オーブ・アラップについて。
1895年英国生まれ。コペンハーゲンの大学で哲学と土木を学び、はじめは土木工事の構造技師として過ごしました。1924年、ロンドンに移住して家庭をもち、その後1988年に亡くなるまでロンドンに住みました。
建築物の構造設計を手がけるようになるのは1930年代中頃からです。英国建築家リュベトキンなどと交流するようになってからですね。1938年、いとことエンジニアリング会社をつくります。第2次大戦中は防空壕や貯蔵施設、港湾施設などの構造設計に関わりました。戦後、1949年に友人3人とオーブ・アラップ&パートナーズを設立します。この辺りから教育、産業、住宅などの分野で戦後復興のための多くの施設を手掛けるようになりました。
オーブ・アラップ&パートナーズはその後順調に成長し、アラップの死後も有力事務所として存続します。1990年代には3000人以上のスタッフを抱える大組織に成長し、今日でも第一線のエンジニアリング会社として興味深いプロジェクトを世に送り出していますね。
オーブ・アラップという人はとても魅力的な人物だったようです。建築の構造家としてたいへん厳格な仕事をした反面、美術や音楽などにも興味をもっていました。気さくな人柄で、入社したばかりの新人にも気軽に声をかけたそうです。アラップは英国生まれのエリートでしたから、学歴や身分の違いで人の扱いが違っていてもおかしくなかったのですが、そうした偏見が一切ない平等主義者だったと言います。人種的偏見も一切なく、優秀な人材ならば、アフリカやアジアからもスタッフとして会社に受け入れました。
建築家レンゾ・ピアノはオーブ・アラップのことを次のように評しています。「彼は非常にヒューマニスティックな人間的な側面を備えたエンジニアです。教養を備えた人であり、非常に繊細でアーティスティックであり、複雑な人間だった。詩も理解したし文学やアートへの造詣も深かった。自分で音楽も演奏しました。」