抵抗の形式 2004.10.09

super studio

スーパースタジオの“スーパーサ−フェス”です。スーパースタジオはイタリアのクリエーター集団で都市や建築を通して現代社会の矛盾点をえぐり出すラディカルな提案を行っていました。この“スーパーサ−フェス”もその一つで1970年初めに制作されました。テクノロジーの進歩が謳歌される中、ここで示されたのは全世界を覆いつくしたテクノロジーが最終的にもたらすのは、均質で退屈な社会であるという事実です。この写真で格子状の面が“スーパーサ−フェス”で、最新のテクノロジーによって作られた生活装置です。ターミナルからのびる万能プラグが人々の生活に必要なエネルギーと情報を供給する。この“スーパーサ−フェス”を設営すれば地球上のあらゆる場所で暮らす事ができるというものです。
“スーパーサ−フェス”が地球全体を覆い尽くせば人間にとって最高に便利な社会になるはずだ。これは、テクノロジーの進歩に対する皮肉であり、疑問ですね。ここには建築も都市も存在していません。ただ生活装置である“スーパーサ−フェス”があるだけです。しかし、同時にこの“スーパーサ−フェス”は近代建築や現代都市を表していると考えることもできます。20世紀の建築や都市計画はユニバーサルです。別の角度から見れば、これは均質で無表情なテクノロジーですね。“スーパーサ−フェス”はこうしたものを象徴しているのです。“スーパーサ−フェス”が世界を覆い尽くしたら一体どんなことになるのか。このラディカルな提案はテクノロジーが絶対的に信奉される社会の行き着く先を暗示しているのですね。
スーパースタジオは建築に対して懐疑的です。「5つの物語り」と題したプロジェクトで彼らは建築を「制度に閉じ込められ、新しい提案をしない保守的なものだ」と定義しています。「5つの物語り」はスーパースタジオが映画の台本として作ったものですが、生活、教育、儀式、愛、死を5つのキーワードとして取り上げ、それぞれの物語りを視覚的に展開しています。そこには建築の本質が浮きぼりにされ、同時にスーパースタジオ独自の提案がなされています。それは現代社会への徹底した意義申し立てでした。
ところでスーパースタジオの考える建築は、端的に言ってテクノロジーでありストーリーです。しかし、ここで落ち着いて歴史の積み上げを顧みてみましょう。そもそも建築は自然にたいする「抵抗の形式」でした。地面に一本の柱を建てるだけで「建築」であり、その意味を問い続けることが建築家の使命だったのです。しかし建築はそもそも技術そのものでした。アーキテクチュアという言葉の中に、テクネー=技術の意味が含まれています。建築は本来、技術のリーダーだったのですね。一方で建築に意味を見いだそうとすると、例えば「抵抗の形式」のような観点が出てきます。“スーパーサ−フェス”も同じように建築の意味を問う提案です。「建築の解体」の一例でした。