14/75 不可能なモニュメント

1995年に行われた「水俣メモリアルデザインコンペ」の最優秀案です。作者は Giuseppe Barone,Italy 、審査員は磯崎新

この時の磯崎新のコメントを以下に引用してみます。

現在においては、真のモニュメントは成立しえない、と語られてきた。それは概ね2つの理由によっている。まず、ある特定の場所におこったとしても、人類が共通してその独自性を記憶するに値するような事件は、もはや殆ど起こりえなくなったこと。そして、仮にそんな事件に遭遇したとしても、建築物、彫刻、造園、オブジェなどがその真の意味を表象するだけの造形的な力を喪失している、と感じられていることである。

いま広義にモニュメントたりうるのは、人類の受難の記憶であろうと考える。ヒロシマアウシュビッツと今世紀の中期に世界が遭遇した大量破壊と大量殺人のあとには、可視化された戦争ではなく、むしろゆるやかにまわり込んでくる、イノセントなテクノロジーのふりまいた毒がこれに代替されており、ミナマタとチェルノブイリこそが記憶されるに値すると私には思われた。

以上

この案は小さな金属ボールを敷地にばらまくというアイディアでしたが、コンペで期待されたイメージにジャストミートした逸品だったと思います。

福島の原発事故現場に何か記念碑を作るとしたら、参考事例として取り上げたい作品です。