11/75 モニュメント再考

福島の原子力発電所が大事故を起こし、放射能汚染の懸念で福島県から観光客が消えました。

こんな状況を改善すべく、原発事故地を「観光地化」する提案があります。

このような場合、人々の関心や注意を引く「モニュメント」を計画するのが有効でしょう。

しかし、建築によって何かを象徴することはもう不可能になったという風潮がありました。例えば、磯崎新が審査員をつとめた水俣メモリアルのコンペがいい例です。

とはいえ、3.11以降の世界ではそれさえ無効になったと思います。

再びタトリンの「第三インターナショナル記念塔」のようなモニュメントが、ある種やけくそ的な雰囲気の中、再び新しい世界観を醸しながら登場し得るような気もしますね。

そして、さらに敷衍してイメージを求めると、アクロポリスの丘がアテネの象徴であるように、地域全体がまちの象徴として時間を刻み始めるような仕掛けも可能ではないか。そんな気もしてきます。