日本の建築について 磯崎新の「和様化」

東大寺南大門のアクロバットな架構

開智学校 長野県松本市

 

日本建築を日本の文化として評価するときに注意すべき点を以下にメモした。

 

★前提

日本の建物が「建築=Architecture」として認識されるようになったのは明治時代になってからである。「日本建築」と言ったとき、西洋のギリシャ様式、ローマ様式、ビザンチン様式などの建築様式と同じレベルで語られている事に注意すべきである。

この「様式」とは実はメタ概念であって、18世紀頃に言葉によって成立したものなので、現在の視点で日本建築を論じると、これと同じレベルでの議論にならざるを得ない事を知っておくべきだ。

 

★建築家の磯崎新の「和様化」

磯崎が提案する「和様化」という考え方は日本文化としての「日本建築」を正しく理解する上で非常に参考になる。

「日本建築」はそのオリジナルを海外から輸入している事実があり、古くは長安や洛陽に都があった国々、また天竺(インド)や百済、新羅(朝鮮半島)から技術や意匠を輸入してきた。

「和様化」とは、一言で言えば、日本列島の外から入ってきた得体の知れない建物を、日本人が独自の解釈と創意工夫を発揮して日本流に変形させて受け入れ、やがてオリジナルを凌ぐレベルにまで高め、使いこなしてきた過程のことである。

 

※補足

庶民の住居は「建築」ではない。日本文化としてこれを取り上げるなら人類学、民族学、家政学などになるかも知れない。