写真は東大寺南大門。この建築が作られたとき日本は鎌倉時代初期、中国は宗の時代だった。その宗から輸入したハイテクを用いてこの南大門は作られた。現存する最大の木造建築物の1つだ。
南大門の上棟が1199年、メインの大仏殿は9年早い1190年に上棟している。これらの建設事業を指揮したのが重源というお坊さんだ。
南大門は高さ25m。柱には20mを超える巨木が計18本使われている。それらは屋根裏まで達し、写真のような徐々にせりあがる肘木を貫通させて大屋根を支えている。天井は張られていないので下から大きな吹き抜けをバーンと見上げることができる。
このような柱梁、肘木の組み方は前例がない。当時の大工たちには想像できない技だったろう。重源が宗から持ち込んだ当時のハイテクを使って、おそらく、がむしゃらに作り上げたのだと思う。
こんな南大門、日本建築史では「天竺様」とか「大仏様」の建築に位置づけられる。「天竺」と言ってもインドとは無関係で、「よく分からない世界」の代名詞としてこの言葉が使われた。当時のインド=天竺は、唐のずっと奥にある謎の世界だったのだ。だから「天竺様」の方が重源の建物に相応しいネーミングだと思う。
この様式は、結局日本には馴染まず、重源が東大寺大勧進の役職にあった25年間だけで終わった。日本の木造建築の中で一番ダイナミックで巨大なものが作られた時代だった。
このあと「禅宗様」の時代になり、鎌倉の寺院はこの様式で作られてゆく。細部に気を配った洗練度の高い建築。