自然発生したわけじゃない 2004.11.15

江戸のはじまり

東京は「自然発生したわけじゃない」大都市です。その元となった江戸は都市計画によって成立したまちなんです。

江戸のまちづくりの胆は次の2点です。

江戸城本丸を中心に渦巻き状の堀を築き、これを成長の核とした。
・巨大な日比谷入江を埋め立てて造成地をつくり、広大な土地を確保した。

江戸は関東平野の沼地を大開拓することで生まれた人工都市なんですね。そもそも17世紀初頭、鎌倉幕府同様、朝廷から独立した武士の政権を東に据えることからスタートしました。天皇のいる京都から遠くはなれて、東日本の「入り口」に位置する江戸に武家政権を樹立したのです。

徳川氏が移って来る前は地方豪族が住む日本の田舎でした。江戸氏、太田氏などの地方豪族が居を構えていたようです。

この絵で、左側が中世の様子。右側が1630年頃の様子です。1600年以降の開発が地形をも変える大事業だったことが読み取れますね。

2つを較べると、湾から大きく内陸に食い込んでいる入江を埋め立てて新しい土地を造成したことがわかります。日比谷入江の大工事です。

そして堀りと水路の整備も重要なポイントです。江戸のまちは水の都だったことはよく知られています。堀りは外堀と内堀からなり、城の本丸を中心として反時計まわりに築かれました。この円弧状に広がる大きな堀りが江戸城を中心とするまちづくりの骨格でした。

それから絵では見にくいですが、新しい街道が整備されました。全国から江戸に至る幹線道路が4本新たにつくられたのです。

土地を造成し道をつくる。こうした町づくりは、現代の東京の礎となっていますね。

一方、まちづくりのうえで精神的な配慮もなされています。天海という僧侶が「宗教的」「風水的」アドバイスを家康に行っていたことはよく知られています。上野に寛永寺を建立し鬼門を押さえる。家康が死んだら日光に祀って神とし、江戸の守護神とする。これらは実際に実行され、やがて江戸で暮らす多くの人々の精神的な支えとなりました。