テラーニ

terragni

テラーニ 
Giuseppe Terragni (1904-1943)

テラーニはイタリアの建築家です。第二次大戦中、39歳で逝去しました。実現した作品にはファシスト党コモ本部、サンテリア幼稚園、集合住宅などがあります。どれも近代建築の秀作ですね。その他、「ダンテウム」など興味深い計画案も多く残しました。

テラーニはミラノ郊外のまちメーダで生まれました。父親は建設会社のオーナーでした。テラーニはミラノの工科大学で建築を学び、卒業とともに兄と設計事務所をはじめます。彼の拠点はコモとミラノでした。

テラーニの活動の拠点がローマでもフィレンツェでもなかったこと。またイタリアが19世紀末にやっと統一国家として一本立ちした新しい国だったこと。この2点はテラーニの人生を見る上で注目すべき事実です。

テラーニが生まれた頃、国内は「未来派」「ノヴェチェント」などの芸術運動がイタリアの近代化を文化面で鼓舞していました。そして、欧州再編の大変革だった第一次大戦終結に向かうとイタリアは秩序と繁栄が希求されてファシズムが社会を覆います。これが一般大衆を巻き込んだ政治運動になり第二次大戦へと突き進んでいったのですね。

このように前衛運動と第一次大戦、大衆運動と第二次大戦。大きな波が若いイタリアを揺さぶり続けていたのです。英仏に比べて不安定な社会を抱えていた事実は否めません。

テラーニはこうした時代を生きた建築家です。社会に対する発言も積極的に行いました。友人と「グルッポ7」を結成し、雑誌に論文を発表したり、展覧会を企画し、出品しています。また、画家として絵を描く才能にも恵まれていました。

テラーニの建築は「近代建築」であり、インターナショナルスタイルの外見をもっています。したがって当然彼は古典建築の装飾や意匠を嫌いましたが、一方で、クラッシクのエッセンスである建物各部の比例による調和がテラーニの建築には内的に存在しています。テラーニの作品がすばらしい理由はここにあるのですね。

彼は将校として戦争に参加し、出征先でも設計活動を続けます。しかし残念なことに廃人となって帰郷し、半年後婚約者の家の階段室で亡くなりました。