ドゥースブルフ 1883-1931

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ドゥースブルフ
Theo van Doesburg
(1883-1931)

ドゥースブルフはオランダのアーティストです。「デ・スティル」の主催者として近代芸術運動の中心を担った人物です。画家が本業ですが、幾つもの建築プロジェクトを発表しています。また住居の実作も存在します。彼は美術批評家でもあり、「デ・スティル」という名前は彼が創刊した美術雑誌の名称からとられました。

ドゥースブルフはオランダ人らしく広く人々との交流を求めました。彼の存在によってヨーロッパの様々なアーティストやグループが結びつき、影響を与えあったのです。特にドイツの「バウハウス」やロシアの「構成主義」などは「デ・スティル」との関係が小さくありません。

かたちと色彩を原点まで還元する。物体と物体の関係性を考える。こうした「デ・スティル」の理論は、形態が抽象化され「空間」自体を操作対象とする近代建築の本質と共振します。ドゥースブルフの身近でこうしたコンセプトを実践していたのはモンドリアンです。ドゥースブルフは同じ画家として多くの刺激を受けています。

ドゥースブルフはオランダのユトレヒトに生まれました。本名は Christiaan Emil Marie Kuper です。はじめ演劇学校で脚本の勉強をし、その後画家を志します。第一次大戦に従軍しました。1917年、34歳のときライデンに移り、この地で同志と「デ・スティル」を創刊します。1920年以降はフランス、ドイツ、イタリアなど各国を頻繁に訪れて「デ・スティル」を紹介しました。こうした機会に多くのアーティストと交流したのですね。

1925年頃から盟友だったモンドリアンと訣別してしまいます。1931年、48歳のときスイスで亡くなりました。