ピーター・ベーレンス

behrens

ピーター・ベーレンス 
Peter Behrens (1868-1940)

ベーレンスはドイツの建築家です。プロダクツデザインなども手がけたデザイン界のパイオニアという一面をもっています。近代建築の黎明期に活躍した「偉大な父」のような存在かも知れません。

そんな彼の事務所には、将来巨匠になる若年が集まりました。グロピウス、ミース、コルビュジェなどですね。

ベーレンスは39歳の時「ドイツ工作連盟」の結成に参加したことで転機を迎えました。1907年のことです。

彼を歴史の舞台に押し上げた「ドイツ工作連盟」はウィリアム・モリスの思想を背景に、芸術と産業を一体的に発展させることを目標に掲げた熱い集団です。

ウィリアム・モリスはイギリスのデザイナーであり思想家ですね。モリスの哲学は身の周りの全てのものに質の高さを求めること、そして手工業にこだわることが特徴です。

この頃のドイツはプロイセンを中心にした帝国国家で、近代化の途上にありました。産業構造を他の列強国に負けない強力なものにすることが急務だったのです。

そんな中でベーレンスはモリス思想の気高い精神性に感化されながらも、手工業に対するこだわりを捨て、ものつくりの機械化を受け入れました。ドイツ産業の近代化は、量産を可能にする機械化を通して、日用品までも含めたあらゆる製品に美意識が込められるシステムを構築することで実現すべきだというのがベーレンスの考え方でした。

ドイツ工作連盟」結成と同じ年の1907年、ベーレンスはAEGという総合電気会社のデザイン顧問になります。ここで彼は「日用品までも含めたあらゆる製品に美的意識を込める」ことを実践するチャンスを得たのです。ベーレンスは製品のデザインをはじめ、ポスターやカタログなども手がけました。

そして建築家として設計したAEGタービン工場が後年、近代建築の記念碑となる訳です。この工場が竣工したのは1909年のことです。

AEGタービン工場は、欧州初の鉄骨構造の採用、壁面のガラス化など野心的な試みがなされたことで注目を集めました。建築タイプが「工場」であった点、建物の骨組みにピン支持による鉄骨フレームを採用した点など時代を先取るポイントが指摘できます。こうしたことが当時後進国だったドイツで実現し得たのはベーレンスの存在あってのことでしょう。

建築家としてのベーレンスは構造力学に明るく、材料の知識が豊富だったようです。

ところで、こうした活動をするベーレンスの立場は今で言う「アートディレクター」ですね。職人でもエンジニアでもなく、世の中の動きを見通して自らの提案ができる、芸術家というか、建築家というか。そうしたクリエーター像をベーレンスは体現したと考えられます。