ジュリオ・ロマーノ

guilio

ジュリオ・ロマーノ
Giulio Romano (1492 or 99-1546)

ジュリオは後期ルネッサンスの画家であり建築家です。ローマで生まれ、巨匠ラファエロの愛弟子として世に出ました。「ロマーノ」は本名ではなく、ローマ出身を顕示するために付けた芸名ですね。ピッピ Pippi が本名です。

ジュリオの若年は不明です。わかっているのは若くしてラファエロの工房に入ったことぐらいです。

師匠のラファエロはわずか37歳で没しましたが、サン・ピエトロ寺院の主任建築家を務めるなど建築家としても頂点を極めた人物でした。ジュリオはそのラファエロの工房で才能を発揮し、すぐに頭角を現します。性格が明るく社交的だった彼は、ラファエロに最も愛された弟子だと言われました。

一番弟子となっていたジュリオはラファエロが死ぬと彼の工房を引き継ぎますが、4 年後にはローマを去りました。ローマに滞在していたマントヴァの貴族に誘われてジュリオはマントヴァに移住することに決心したのです。1524年のことでした。ジュリオの生年が1499年なら25歳の時ですね。理由はよくわかっていません。ローマの地で若くしてビックになったジュリオに何かあったのかもしれません。

マントヴァは当時ローマにくらべてかなりの田舎でした。ジュリオは非常に歓迎され、ローマの第一線で活躍する有名芸術家として迎えられたのです。この移住が「ジュリオ・ロマーノ」誕生のきっかけだったと考えていいでしょう。

マントヴァに移住して2年後には領主のフェデリーコ・ゴンザーガがジュリオを認め、厚い信任を寄せるようになります。マントヴァの建築・都市計画をジュリオに一任したのです。

ジュリオは宮廷で貴族と同等の待遇を受け、裕福な家庭の娘と結婚し、高額の年棒を支給されるようになりました。昔の友人がマントヴァのジュリオを訪れて、領主のような暮らしぶりと、貴族並みの高い地位に驚いたという逸話が残っています。

ジュリオはマントヴァの地で、パラッツォ・デル・テなどの名作を残す一方、道路の整備にも尽力しました。

やがて「ジュリオ・ロマーノ」の名はイタリアで有名になり、パルマヴィチェンツァ、ボローニアからも仕事の依頼が寄せられました。

ジュリオの作品は建築史において「マニエリスム」に分類されるものです。これは「ルネッサンス」末期の様式で、古典から解放されようとする意思が作品の背後に読み取れる興味深いカテゴリーですね。

規範に対して独自性を表現し個性を謳歌する。「ジュリオ・ロマーノ」にふさわしいものかも知れません。