12 日本国王になった義満

ken1062014-10-20

足利義満は中国、明と正式な交易するために大胆なことを実行した。

それは自分を明の皇帝から日本国王に任じてもらい、明への朝貢という形で両国の交易を安定的に行うことだった。

そして、紆余曲折を経て義満はこれを実現した。西暦1400年頃のことだ。朝廷や天皇の存在感を曇らせる程の権勢があった故の曲芸だが、やはり凄い。

この義満の実績を踏まえると、後年、織田信長ローマ教皇から日本国王の位を得て、南アジアに領国を広げようとした。というのは真実味がある。

ところで「明」とはどんな国だったのか。明はモンゴル帝国「元」を滅ぼした国だ。初め南京を都とした。中国の歴史で南から起こって大きく領土を取り、皇帝を頂いたの「明」だけのようだ。

義満を日本国王に任命してくれたのは2代皇帝の建文帝だ。彼は初代皇帝の孫で、存在感の薄い人物だった。24歳で叔父に帝位を簒奪され命を絶たれている。叔父は3代皇帝、永楽帝となり、北京に都を移して「明」を巨大帝国に押し上げた人物だ。建文帝は初代と3代の大物皇帝に挟まれた小さい存在だったのだ。

明の建国は1368年。日本では義満が10歳で将軍に就任した年だ。彼は「元」が滅び「明」が建国される様に大きな注意を払い、かの地の情勢を把握していただろう。「倭冦」からも情報を得ていたに違いない。

1394年、義満は出家して朝廷の位から自由になった。そして明では建文帝が1398年に即位。1401年に義満を日本国王とした。

義満が始めた明との交易は「勘合貿易」と呼ばれ、150年ちかく続いた。この制度をつくった立役者の義満は1408年に亡くなった。