ローマのCapitol 

「いくつかの経験」丹下健三 より

私が大学を卒業したころー1938年でしたがー現代建築はすでに形式化の危険をうちにはらんでおりました。いわゆる過去の伝統と様式を捨て去って裸になった現代建築は、合理主義とも機能主義とも呼ばれておりましたが、しかしそうした主義の名のもとに、単なる白い箱にすぎないものをーそれは単なる出発点にすぎないものなのですが、それがいかにも目標ででもあるかのように、それそのものをよしとするような安易な態度が支配的であったといえます。

現代建築の先駆者たちが過去を否定することによって戦いとったものが、すでにいかにも日常のことのように抵抗なく受け入れられていました。私は、そうした現代建築はすでに生命力を失ったもののようにしか思われませんでした。その中でただひとりル・コルビュジェだけが、こうした原点からふたたびそれを建築芸術に高めようとしていることに私は強くひかれておりました。






1951年の初渡欧時に当時の奥様(加藤とし子)に宛てた葉書。「Michelangeloが作ったこのCapitolで今日は大部分の時間を使いました。無我夢中というところです。」














その後、1951年のヨーロッパ旅行のときは、ル・コルビュジェマルセイユのアパートは九分がた完成しつつある段階でしたが、そこで私は古代ローマルネサンスやそしてゴシックの建築で受けた感動に似たものを感じました。私は現代建築がこれほど人々に感動を与えるものであるということを、このとき身をもって経験しました。


Capitol Hill Square, Campidoglio, Rome























卒業直後から4年間、私は、ル・コルビュジェのところに学ばれた、前川国男先生のところで働く機会を得たのですが、そこで私は建築設計の厳格さと緻密さを教わりました。ちょうどそのころ、新しくル・コルビュジェのところから帰ってこられた坂倉準三先生からも私たちは多くのことを学びました。ちょうどそのころ、同じクラスの浜口隆一さんは大学院でルネサンスの研究をはじめておりました。私は彼の影響を受けてルネサンスの建築にーそれは、現代建築家たちが否定してしまったものでしたがーとくにミケランジェロに強くひかれるようになりました。ゴシックを否定して古典古代に帰った彼は、初期ルネサンスの原典から出発して、そこに生命力を与えた人として、ル・コルビュジェと同じ歴史的位相にいる人のように思われたからでした。私はそうした考えを雑誌「現代建築」1939年12月号に“ミケランジェロ公ール・コルビュジェ論への序論として”を発表しました。


Roman Forum(フォロ・ロマーノ












さらにミケランジェロの背後に、私は古代ギリシャ古代ローマの偉大さを感じはじめました。とくに古代ローマ都市の復元の研究ーこれは50cmx70cmもあるような大型の図版集でしたがーを食い入るように毎日ながめておりました。それはいくつかのフォラムの配置の復元図でした。

Capitol Hill Square, Campidoglio, Rome