ジョン・ラスキン 1819-1900

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ジョン・ラスキン 
John Ruskin
(1819-1900)

ラスキンは英国の社会思想家です。建築に関する発言も多く、近代建築のパイオニア達に影響を与えました。コルビュジェもその一人で、若い頃の愛読書にラスキンの本が含まれています。ラスキンの思想は美術論を軸に大きな広がりをもつものです。1歳違いのマルクスと肩を並べる巨人と考えていいかもしれません。ガンジートルストイプルーストといったビックネームへの影響が知られています。

19世紀の中頃はビクトリア朝の時代です。当時の英国は、産業が活発になって多くの発明がなされ、人々が豊かになっていった時代です。中国にアヘン戦争を仕掛けてアジア進出も実行しています。その背景には資本主義が社会活動の原則となったことがありますね。こうした時代状況を見て、2人の思想家はこれからの社会のあり方を考えました。マルクスは「経済」や「労働」を通じて、ラスキンは「美術」や「教育」を通じて。2人は資本主義とは何かを追求したのです。

ラスキンの考えによると、技術の発達によって建築が工業化されることは歴史的に誤った道である。建築は芸術としてより道徳的であるべきだということになります。彼の理想は中世の職人が美と魂を込めて作品を作ったことにあります。産業の工業化によるものの大量生産は、資本主義社会が生む悪癖で、そこから得られる豊かさは人々の心を貧しくすると考えたのです。ここには目先の利益にとらわれないラスキンの深い読みがあったような気がします。豊かな社会とはいえ結局、行き着くところは何だったのか?

ラスキンはロンドンの裕福な家庭に生まれました。父は成功したワイン輸入業者、母は90まで生きた敬虔なプロテスタントでした。ラスキンは一人っ子でしたが子供の時から聡明で、15歳で詩集や地質学の本を出版し、聖書を極めて深く理解したといいます。父から美術や文学を母からキリスト教のエッセンスを教えられたのです。実はラスキンは学校へ行かず12歳まで自宅で両親から学んでいたようです。大学はオックスフォードのクライスト・チャーチに進学しました。

彼の生計は執筆や講演活動、大学で教えることで成り立っていたようです。29歳で結婚しましたが数年後に別れています。生涯を通じて英国内やヨーロッパを多く旅行し、中でもベネチアを愛しました。また、英国の画家ターナーを尊敬する一方、ロセッティと親交を深めラファエロ前派の一員だった時期があります。20世紀になった20日後の1900年1月20日、80歳で亡くなりました。