ウィリアム・ケント

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ウィリアム・ケント 
William Kent (1685-1748)

ウィリアム・ケントは英国の造園家、建築家、画家、家具デザイナーです。下層階級の生まれだったにもかかわらず、英国屈指の貴族バーリントン公との出会いによって、ケントはいくつもの分野で大きな業績を成し遂げることができました。

ケントはヨークシャの貧しい家庭に生まれ、看板書きや乗り合い馬車の車掌などをして生計を立てていました。10代半ばの頃、画家を目指してローマに移住します。地元の名士が才能豊かなケントの為に遊学の費用を用立ててくれたようです。結局ケントは10年間もローマで過ごしました。そしてローマでバーリントン公と出会ったのです。

ウィリアム・ケントは子供のころ正式な基礎教育を受けていなかったので、後年の多彩な活動からは想像できないことですが、読み書きが正確にできなかったという逸話が伝わっています。しかし、若い頃の彼はすばらしい直観力と芸術の才能に溢れていたのです。

そんなケントの将来性を評価したバーリントン公は、彼の潜在能力を信じて自分の近くに置き、生涯にわたる友好関係を結ぶに至ります。バーリントン公は当時29歳のケントをローマからロンドンに連れて帰りました。そして、さっそく自分の館の天井画を描かせたり、家具のデザインを依頼したりしています。

ウィリアム・ケントがパッラーディオを建築の手本としたのは、バーリントン公の指南によるものです。バーリントン公は領主であり、大変な富豪でしたが、建築家として自らの別荘を設計できるような才人でした。バーリントン公の設計によるロンドン郊外チズウィックにある館は、英国におけるパッラーディオ様式の代表作となっています。

こんな偉大な人物をパトロンに持ったウィリアム・ケントは、造園と建築の仕事で大きな成果を残すことになります。

まず造園家としてのケントですが、その最も重要な仕事は英国式庭園を考え出したことでしょう。その特徴は、野生の雰囲気を残し、庭を自然な感じに仕上げることですね。人間が手を入れて造り込んだのではなく、はじめからそうなっていた様に見えることを理想としました。人工的なフランス幾何学式庭園とは対局のものです。

歴史的にみるとウィリアム・ケントの考案した英国式庭園は「風景式庭園」であり「ピクチェアレスク」との関連で考えられるものです。

それから建築家としてのケントの実績は、やはりパッラーディオの流れを英国で実践したことにあるでしょう。代表作はノーフォークにある Holkham Hall、ロンドンの中心にある Horse Guards などですね。ケント晩年の作品です。

ウィリアム・ケントのこうした歴史に残る第一線での活動は、バーリントン公 Lord Burlington の後ろ盾があって可能だったのです。