38/75 メディアとしての「建築四書」

ken1062007-02-19

イタリアのパッラーディオ Palladio の遺伝子が、アルプス山脈を超え、150年の時を超えて、はるばるイギリスに伝わった証です。ロンドン郊外に建つチズウィック・ハウス Chiswick House ですね。このドローイングは完成当時の姿です。現在でもほぼ完璧な状態で周囲の庭園とともに保存されています。
パッラーディオが亡くなったのは1580年。この邸宅がつくられたのが1729年。時間のへだたりは約150年です。またヴェネト地方とロンドン郊外は、北イタリアの峻厳な山々とイングランドの荒々しい海峡で大きく隔てられています。こうした時空の障壁を乗り越えられたのは「本」という媒介物=メディアのおかげだと考えられます。
その本とは「建築四書」ですね。パッラーディオが書いた不朽の名作です。
チズウィック・ハウスを設計した英国貴族のバーリントン公 Lord Burlington は「建築四書」をローマで購入し手元に置いていました。「ラ・ロトンダ」を参照したのは明らかです。バーリントン公はパッラーディオを敬愛していました。
バーリントン公はアイルランドやヨークシャに領地をもつ、英国でも屈指の富豪貴族でした。知性と胆力にあふれた偉大な人物だったようです。古代ローマの信奉者で、若い頃、ローマへのグランドツアーを幾度も行っています。25才のときにヴィチェンツアやヴェネチアを訪れ、憧れのパッラーディオ建築を初めて見ています。当時英語に翻訳されたばかりの「建築四書」も購入しました。そして帰国すると、すぐチズウィック・ハウスの設計を開始したのです。
チズウィック・ハウスは確かに「ラ・ロトンダ」そっくりですが、バーリントン公はオリジナルを安易にコピーしたわけではないようです。敷地の条件も十分考慮し、古典建築に対する十分な理解をふまえて設計を行ったとされています。